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そらとぶさかな3

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プラネタリウム

なんてすてきなのだろう。
ふかふかの心地よいソファー。
ゆるやかなリクライニング。
やさしくてやわらかな声。
これから始まるんだというどきどきとわくわく。
すこし、こわくもある。
ゆっくりと暗くなる空間。
目を閉じて、5つ数えてください。
そして目を開いた時に広がる星空。
現実ではそんなことできないんだ。
星はいつだってそこにあるし、目を閉じて開いたら一瞬に広がるなんてないじゃないか。
ただあまりにも居心地がよすぎて、眠くて眠くて、いつもちょっとうとうとするんだ。

空はこわい。
宇宙もこわい。

けれど、とても昔にもきっと、同じように空を見ていた人がいる。
これからずっと先にも、同じように空を見る人がいる。
同じということが嫌なこともあって、でも嬉しくもあって、悲しくもあって。
ちょっとだけ、救われたきもちになる。
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懐古にひたる

部屋の掃除をしていると、思いがけないものを見つけることはよくある。
特に、長年触っていない場所を整理すると。

場所をとるので、小学校の時の文集を処分しようと思い、その周辺の整理をしていた。
捨てるのは忍びないが、今は便利な時代なので、自分が書いたものくらいなら簡単にPDFでデータ保存できる。
とりあえず自分がどんなことを書いていたのかと思って読み返してみても、まるで知らない子供が書いた文章だ。
こんなことがあったのか?と疑問に思いさえする。

では中学や高校の時ならば多少記憶もあるだろうと、文集ではないが学園祭の思い出冊子なんぞもとりだして読んでみた。
高校の時の学園祭は特に面白かった。
今でも戻れるのならば高2に戻りたいとはっきり言えるくらいに楽しかった。
けれどその思い出すら、わたしにはほとんど残っていなかった。
本当にどうでもいい、日常のささやかなやりとりなんかは覚えていたりするのに。
とても楽しかったというその記憶だけはあるというのに。

人の記憶はとても脆いものだ。
自分はずっと自分自身であると思っていたが、それは思いこんでいただけもしれない。
自分自身の証明は、こんなにもあやうい記憶ではできない。

けれど、つながっているのかもしれないと思うこともある。
たとえ書いた文章が自分のものかすら判別がつかずとも、断片をつなぎ合わせれば、やはり自分は自分なのだ。
小学校6年生の時に、将来の夢というタイトルを与えられ、「病気や事故などにならないで安全に健康でいたい」と書いた。
そして高校3年生の時に、10年後の自分へというお題には、「健康な身体と健全な精神で生き続けたい」と書いた。
きっと今、同じように聞かれれば同じようなことを答えるのだ。
…変わらないものだ。本当に。

夏の終わり

すごく暑かったのが、少しだけやわらいだな。
そういうことで、別に何と言うことのない毎日だなと思う。



だからこそ、自分の好きなことを見失わないようにしたいなぁ。
 


でもそれで、本当にいいのかな。
と、不安になることもあるんだ。

残暑という。
不思議な気持ちにさせる言葉だ。
未練があるのかもしれない。

みどり。

最近は、ちょっとおとなしめ。
でもこういう過ごし方もいいのだなと思う。
ただ、少し頭が痛いので困る。
 

そろそろ、動き始めたい。けれどまだ、早いかもしれない。
もう大丈夫なんじゃないかなって勘違いしているだけかもしれない。


自分がどうしたいのか、よく考えないといけない。
もうすぐ、8月になる。

とおりみち

あ、と思う間に1日が過ぎていて、あれ、と思う間に1週間が過ぎる。
気付けば1ヶ月も終わり、そうしてきっと1年も終わるのだ。
焦ってしまうのは、何が近づいて来るからだろう。
時間が有限であると知っているからだろう。
ただ、知っていても毎日の過ごし方が変わるわけではなくて、やはり1日は1日として過ぎていく。
それは怖いことでもあるのだし、幸せなことでもあるのだな。

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プロフィール

HN:
さかな
性別:
女性
自己紹介:
2004.12.07:そらとぶさかな1
2005.05.07:そらとぶさかな2
2007.11.14:そらとぶさかな3

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