念願の岩手県に行った。何年前から行きたいって言っていただろう。ようやく、だったなぁ。
でも今だったからこその気持ちもあって、本当に良かった。
1日目は花巻では宮沢賢治づくし。
賢治先生はそのお話も素敵だけれど、賢治先生をとりまく世界も素敵だと思う。今生きている人たちが賢治先生のことを慕ってつくった世界とか、不思議な言葉のもつ優しさとか、そういう空気みたいなのが残っている。
童話村、楽しかったなぁ。でもきっと、わたしの心は優しくないから、銀河鉄道には乗れないんだ。みんなの幸のためならなんて、言えないもの。
2日目は胆沢から平泉で歴史づくし。
胆沢城跡とか、今はもうだだっぴろい田んぼでしかないんだけど、でもここだったんだ。
そう思うと、胸がぎゅっとなる。

八幡様。あんまり神社のこととか神様のこととか知らなくて、もっと勉強したいな。そうしたらその土地の辿った歴史とか、少しは分かるかもしれない。
それから平泉。

観光地という雰囲気なのだけれど、それでも金色堂を見ていると心が遠くなっていく。ここだったんだとか、もうそういう次元じゃなくって。ここにいる。手は届かないけれど、確かに同じものを見ている。どんなことを思ったんだろう。同じ人間だけど、きっと全然違う。考え方、ものの味方、生き方。近づけないし、近づきたいわけじゃないけれど、でも、寄り添ってみたい。その目で世界を見てみたい。
資料館で教えてもらった、泰衡さんの首と一緒に残された蓮の花のこと。泰衡さんの首に、どんな思いで種を添えたのだろうなぁ。今その種が花を開き、また新しい種をつくる。つながっているのだと知ったら、彼らはどんな気持ちになるんだろう。
3日目は遠野。
遠野物語を初めて読んだ時、正直よく分からなかった。けれど何度か読んでいると、その世界をのぞいてみたくなった。もっとずっと昔の歴史書みたいに、もしかしたらそれは比喩だったのかもしれない。山男は山男じゃなかったのかもしれない。カッパなんていなかったのかもしれない。それでもこの場所は、信じてもいいんじゃないかって思わせる何かがある。

この村で生活をして、死んでいった人たちがいるんだってこと、それがすごく自然なことだったんだなって思う。語り部さんの声、やわらかな口調、独特の言葉を聞いていると、余計にそう思う。
遠野から花巻までの道すがら、またしても歴史を思う。

丹内山神社は思ったよりずっと大きかった。色々な歴史に顔を出す場所なんだ。神社の奥の奥にある御神体。大きな石。もしかしたら最初はただの石だったのかもしれない。でももう、違うんだなぁ。たくさんの人がこの石に触れて願ったのだなぁ。アラハバキさまはきっと今もそこにいるのだ。

神社ではちょうど鹿踊を奉納していた。もっとよく知りたいなぁ。
そして最後に訪れたのが成島毘沙門堂。兜跋毘沙門天立像が見たくて。

今は宝物庫のようなところに安置されている。思ったより背が高い。毘沙門天を両手で支える地天女の話。受付の人が、地元の言葉で説明をしてくださって嬉しかった。この像をつくった人は、どんな気持ちだったんだろう。この像を見て、何を思ったんだろう。
3日間はあっというまだった。もっと行きたいところがあった。もっと思いをはせてみたかった。そんな旅だった。いつかまた、行きたい。その時、どんなことを思のか楽しみだ。