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そらとぶさかな3

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1日。1週間。1ヶ月。1年。

どれも、早いなぁ。
始まる前はそんなこと思わないのに、終わってみると早い。
3連休も、そう。
1年だって、そう。
もうずっと前のことみたいだ。
そんなことがあった、それ自体がもう嘘みたいに感じる。
不思議だ。
今の方がずっと短いのに、過去の方がずっと長いのに、当たり前なのは今の方なのか。
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走る。

久しぶりにうわぁってなった。
まったく大したことじゃなかったんだけれど、眠れない夜が来ると、思い出して怖い。
最初は苛立っていただけなのに、そのせいで眠れなくて、眠れないことが不安になる。
負けた気持ちになる。
負けたことが悔しくて悲しくて、余計に苦しくなる。
本当は違うのに。何にも負けてないのに。

1のことが2になって、2のことが4になって、10になって100になって襲い掛かってくるみたいだ。
よくよく考えたらどれも、不安に思うことなんてない。
だって最初は1だったのだもの。
人間は1日寝ないくらいで壊れない。
近くにいようが遠くにいようが、立っていることに変わりはない。
でもすごく怖かった。
眠れないことがとても怖くて、また来るのかなって思うと止められなかった。
しんどくなったらどうしようという、ありもしないことを考えてしまうのだ。
本当にしんどくてどうしようもできなかったことを思い出すのだ。
あんなことにはもうならないと思うけれど、あんなに怖い思いをするのはもう嫌なのだ。
大丈夫だって言い聞かせたって、まだはっきりと覚えているのだ。
気の持ちようだというのはつまり、こういうことなのだと思う。
でもその持ちようをコントロールできなくなってしまったのだ。
一度できなくなると、治すのはとても難しいことなのだなぁ。

人生変わった気になっていたけれど、本当はそう大して変わっていないのだ。
相変わらず大丈夫だと言い張りたいし、相変わらず休憩するのが苦手なんだ。
人の目ばかり気にしていて、していないふりをして、色々削っているんだ。

なんて言ってみたところで、それでも今、元気なんだなぁって思う。
色々な気持ちとか、環境とかが変わったからびっくりしたんだな。
本当に良かった。
何かをしたいという気持ち、まだまだたくさんあるものな。

思いはせる旅

念願の岩手県に行った。何年前から行きたいって言っていただろう。ようやく、だったなぁ。
でも今だったからこその気持ちもあって、本当に良かった。

1日目は花巻では宮沢賢治づくし。
賢治先生はそのお話も素敵だけれど、賢治先生をとりまく世界も素敵だと思う。今生きている人たちが賢治先生のことを慕ってつくった世界とか、不思議な言葉のもつ優しさとか、そういう空気みたいなのが残っている。
童話村、楽しかったなぁ。でもきっと、わたしの心は優しくないから、銀河鉄道には乗れないんだ。みんなの幸のためならなんて、言えないもの。

2日目は胆沢から平泉で歴史づくし。
胆沢城跡とか、今はもうだだっぴろい田んぼでしかないんだけど、でもここだったんだ。
そう思うと、胸がぎゅっとなる。

八幡様。あんまり神社のこととか神様のこととか知らなくて、もっと勉強したいな。そうしたらその土地の辿った歴史とか、少しは分かるかもしれない。

それから平泉。

観光地という雰囲気なのだけれど、それでも金色堂を見ていると心が遠くなっていく。ここだったんだとか、もうそういう次元じゃなくって。ここにいる。手は届かないけれど、確かに同じものを見ている。どんなことを思ったんだろう。同じ人間だけど、きっと全然違う。考え方、ものの味方、生き方。近づけないし、近づきたいわけじゃないけれど、でも、寄り添ってみたい。その目で世界を見てみたい。
資料館で教えてもらった、泰衡さんの首と一緒に残された蓮の花のこと。泰衡さんの首に、どんな思いで種を添えたのだろうなぁ。今その種が花を開き、また新しい種をつくる。つながっているのだと知ったら、彼らはどんな気持ちになるんだろう。

3日目は遠野。
遠野物語を初めて読んだ時、正直よく分からなかった。けれど何度か読んでいると、その世界をのぞいてみたくなった。もっとずっと昔の歴史書みたいに、もしかしたらそれは比喩だったのかもしれない。山男は山男じゃなかったのかもしれない。カッパなんていなかったのかもしれない。それでもこの場所は、信じてもいいんじゃないかって思わせる何かがある。
 
この村で生活をして、死んでいった人たちがいるんだってこと、それがすごく自然なことだったんだなって思う。語り部さんの声、やわらかな口調、独特の言葉を聞いていると、余計にそう思う。

遠野から花巻までの道すがら、またしても歴史を思う。

丹内山神社は思ったよりずっと大きかった。色々な歴史に顔を出す場所なんだ。神社の奥の奥にある御神体。大きな石。もしかしたら最初はただの石だったのかもしれない。でももう、違うんだなぁ。たくさんの人がこの石に触れて願ったのだなぁ。アラハバキさまはきっと今もそこにいるのだ。
 
神社ではちょうど鹿踊を奉納していた。もっとよく知りたいなぁ。

そして最後に訪れたのが成島毘沙門堂。兜跋毘沙門天立像が見たくて。

今は宝物庫のようなところに安置されている。思ったより背が高い。毘沙門天を両手で支える地天女の話。受付の人が、地元の言葉で説明をしてくださって嬉しかった。この像をつくった人は、どんな気持ちだったんだろう。この像を見て、何を思ったんだろう。


3日間はあっというまだった。もっと行きたいところがあった。もっと思いをはせてみたかった。そんな旅だった。いつかまた、行きたい。その時、どんなことを思のか楽しみだ。

泣いた。

久しぶりに泣いた。
さすがに声を上げてではないけれど、涙がべろべろと出てきた。
前に読んだことのある本で、ちゃんと内容もその結末も知っていた。
知っていたけれど、涙が出た。
上巻は、その勢いにぐいぐい引っ張られて、面白くてかっこよくて。
下巻は、勢いはだんだん無くなっていって、でもその分胸に痛いことがたくさん増えて。
ただ歴史を辿るのでは感じられない、人が生きているということ。
言葉の1つ1つはどちらかといえばシンプルなのだけれど、それまでの生き様を辿ってきているだけに、こめられた思いがとても深い。
いつかまたこの本を読んだ時には、きっと泣く。

仕方がないよ。

疲れている時はそれで、仕方がないのだと思う。
すごく頑張ったこともあるけれど、なんだかそれで頑張ったって言っちゃうのも違うなぁ。
それを言い訳に仕方がないと休んでしまっているのもなんだか、勿体ないなぁ。
静かなところで画面を見ていると、安心するんだけど。
8月になったら、って思っていたら、8月になっていた。
明日から、じゃ、いつまでも来ない。

ずーっと綺麗な音楽を聞いていたい。
それで綺麗な絵とか見たり。
綺麗なお話を読んだり。
そういう生活がしたいんだ。
したいんだ!

でもそろそろ、ちゃんと外に出よう。
また楽しいこと、たくさん見つけよう。
外にしかない綺麗なもの、たくさん。

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