先日、興福寺に行ってきた。東金堂と国宝館に入ってきた。
阿修羅像が取り上げられているのは知っていたけれど、正直あんまり期待していなかった。
そうしたらあらまぁびっくり。すごくよいじゃないか。
東金堂はどなたがいらっしゃるかも知らないままに入ったのだけれど、他に人がいないことも相まってか、異空間。薬師如来さんも日光・月光菩薩さんも美しく偉大で圧倒される。四天王さんも十二神将さんも格好良い。でも維摩居士さんが一番好き。すぐ後ろには壁があって、その向こう側には日常があるのだけれど、そんなこと忘れてしまうくらいに大きな場所。

東金堂出口から境内をのぞむ。
仏様の視点ってこんな感じかしら。
続いて国宝館へ行く。こちらはお寺!というよりは、博物館みたい。信仰の場所という感じはあまりないけれど、それでも立ち並ぶ仏像さんたちはすごく力強くて優しいなぁ。
どれだけすごい仏像さんが現れるんだっていうくらい、とにかく有名どころが勢ぞろい。八部衆像さんがずらりと並び、これが噂の阿修羅像かと思いながら、でも好きなのは迦楼羅さん。他にもなんとも言えぬ表情をしているお方もいる。
天燈鬼さんと龍燈鬼さんは愛嬌があってかわいい。でもかわいいだけじゃなくって、力強い感じもする。四天王さんに踏みつけられている鬼さんと似ているような、似ていないような。
一番感激したのは有名な白鳳時代の仏頭さん。写真で見たことはあるし、本でもよく出てくるので知ってはいたけれど、やっぱり直接見ると違う。欠けている部分も多いけれど、だからこそ伝わってくる何かがあるのではないか。独特の眼の形、ふくよかでしっかりとした顔のライン、質感のある力強い唇。ずっと見ていたいと思わせるものがある。もしもこの仏さまが造られた当初通り、全身をお持ちだったら、もしかしたらここまで訴えられるものはなかったかもしれない。例えばミロのヴィーナスだったり、サモトラケのニケだってそうだと思うのだ。欠けているからこその魅力、存在の不在へのロマンというか、かきたてられる想像がある。勿論、無いからいい!というわけではないし、あればあったでまた別の魅力を感じるのだろうけれど。とにかくこの方に出会えただけでも行った甲斐があるというものだと思えた。
国宝館を出た後は、興奮を落ち着かせるために近くを散策して写真撮影。
冬が来ていることは知りながら、まだ秋の名残を探している。
冬には冬の、秋には秋の素晴らしい景色があるのだけれど。

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