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そらとぶさかな3

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沈黙

絶対面白くないだろうなぁと思いながら読んだ
ら、予想外に面白かった

有名だし
どんな時代のどんな話かっていうのは知っていたけれど
そうかこんな内容だったのかと思った

信仰とは
神とは
棄教とは
人の命とは

そんなことを考えた

わたしは無宗教であるが
わたしなりにそもそも神ってなんだろうと考えた
物質のように存在していないものの場合
信仰されるもの、信じられているものは
信じているものが存在しなければそこにない
そういう意味では人が作り出したものだ
だから信仰が揺らげば沈黙することもあるだろう
彼は沈黙せずという結論に達したようだが
それは結局彼が形式上はともかくも棄教をしなかったためと思われる
そういう意味では彼は、本当の信仰者よりもなお真実信仰者である

もちろんそれはここでいう存在が
人の認識という意味であるならばという前提が必要だ
人の認識の及ばぬ範囲にも広義的には存在というものはある
かつての人が今に言う世界を知らず
己の住む集落、もしくは一地域共同体で狭義世界が完結していた頃にも
広義世界はそこにあったであろう

呼吸が止まった先にあるものをわたしは知らないので
それを“怖い”と思う
わたしはその先を知らず、遍在する様々な形を信じていないからだ
たとえば天国若しくは浄土を信じているものが
死を恐れないことがあるように、その恐怖が減じることがあるように
そんな風にはいられないからだ
だから「信じる者は救われる」のだ
その先に救われるかはともかくも
現世を生きているこの瞬間は救われるのだ

と、いうようなことを考えた
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凍りのくじら

共感した
考えた

もうその時点で考えすぎだ

白河夜舟

この人の本は、出てくる人が漠然とした悲しさとか寂しさとかを持っていると思う
人がもともと持っているもの
それが、例えば家族を失ったり、友達を失ったりすることで表面に表れてくるんだろうと思う
だから読んでいるとぞっとすることもあるし切なくてやりきれないこともある

けれど読みきってやさしい気持ちになる

それはたぶん、そうやって生きていく人が絶望していないから
前でも後ろでもとにかくどこかへ歩いてるからだと思うのだ

妃は船を沈める

久しぶりにこのシリーズを読んだ
中編+中編の長編だけれどもどうせなら長編の長編が読みたかったなぁと思ったり
後編に関して言えば行程は分かんないけど結果は想像できた
『狂ってる』っていうのはどんな事件についても動機になってしまう便利な言葉だと思う
共感はできないけど理解はできるのが許容範囲かなぁとは思うけど
たとえそれを逸脱しててもわたしは許してしまうんだろうなぁ
あ、別にこの本のいう狂気が共感できないわけではないけど
同じことはしないけど
考えれば考えるだけ
怖くはなるもの


それにしても
早く女王国の城が文庫本化してくれたらいいのに

議論の余地しかない

名言集?
なるほどと思う所やら
目からうろこな所やら
えーって所もあったり
とりあえず頭の体操によい

暑いので頭がどんどん悪くなるのだけれど、
これを読むとちょっと復活する

主観と客観の話

個人は他人で囲われたひどく曖昧な存在
だからこそ一人だけでいいから生きているのを見ていてほしいのかも
なんて思ったり
んー・・・それぞれにそれぞれの意味があるんだろうけど
結局は収斂していくのかなぁ

あ、なんかこういうこと考えるの久しぶりだー
最近机上のことが少なかったからねぇ

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性別:
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